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修羅場を越えてきた元日本IBM会長、年に3回しか怒らなかった理由

北城恪太郎氏に聞く次世代人材の育て方

元日本IBM会長の北城恪太郎さん(80、現在は名誉相談役)。経済同友会代表幹事や国際基督教大学(ICU)理事長なども歴任して多くのグローバルリーダー人材の育成に当たってきた。日本経済の再起動が求められるが、どのようにして次世代の経営人材を育てればいいのか。IBM時代のキャリアを振り返りながら、人材育成をテーマに北城さんに聞いた。

36歳で管理職、未経験の銀行担当でいきなり絶縁状

――政府や企業は、人材のリスキリングを促していますが、どう考えますか。

日本の企業は年功序列型の雇用システムを採用してきました。一度昇格させて給与を上げて、その後、問題があっても降格させたり、給与を下げたりするのはなかなかできなかった。結果、10~20年と十分な経験を積んだ人間を慎重に選択して管理職に引き上げてきました。しかし、人工知能(AI)やデジタルトランスフォーメーション(DX)などと時代の変化が激しくなるなかで、同じ仕事をやり続けるだけでは、もはや時代のニーズに対応できません。当然、リスキリングして新たなスキルや能力を身につける必要があります。ただ大事なのはその人材の業績を的確に評価して処遇するかにあります。学ぶだけでは意味はありません。日本企業もジョブ型雇用にシフトしなくてはいけませんね。

――人材をリスキリングして、さらにリーダーに育てるにはどのようしたらいいのでしょうか。

若い時から数々の修羅場を体験することが一番効果的です。教科書を読んでもリーダーにはなれない。新規事業、海外体験、とにかく難しい仕事に挑戦し、明確な目標を定めて論理的に考え、何が必要なのか、上司やチームなどの組織をどう説得して共感を得ればいいのか、現場で経験を積むのがいいのです。

――ご自身の修羅場体験は何でしょうか。

初めて管理職となった36歳からの2年間が最大の修羅場体験でした。大手都市銀行の基幹システムを受注する20人ほどのチームのリーダーに抜てきされました。実はそれまでは電気ガス業界を担当するシステム・エンジニアで、当時のIBMでは決して早い昇進ではありませんでした。しかし、いきなり数百億円規模の会社の命運を握る一大プロジェクトを任されました。当時は営業職も銀行担当も、もちろん管理職もいずれも未経験だったのです。銀行幹部の方にあいさつにゆくと、「お宅とお付き合いすることはないでしょう」と最初から絶縁状を突きつけられました。当時のIBMは高額のメインフレーム(汎用機)だろうと、安いパソコンだろうと、一切値引きせず、全世界ですべての製品を定価販売していました。それが一番公平であると考えるグローバルルールだったのです。

元日本IBM会長の北城さん

元日本IBM会長の北城さん

米本社に乗り込みプレジデントと直接交渉、グローバルルール変更へ

――IBMはコンピューター世界の王者だった。大型汎用機では欧米市場に競合メーカーが事実上存在しなかったが、日本では富士通や日立製作所などライバルメーカーがいました。価格競争を仕掛けられていたわけですね。

新たな視点でビジネスを展開しないといけない。当時は米IBMでは定価販売が当たり前でしたが、何でもどこでも同じ価格はおかしい。大量に製品を購入されるお客様のニーズに対応しようと考えました。それで米本社に飛んで、事業最高責任者のプレジデントと直接交渉しました。日本の市場やお客様の重要性などについて説明して、ルール変更を迫り、何とか納得してもらいました。そして銀行側と交渉に臨み、システム受注にこぎ着けました。

――なぜ親会社を説得できたのでしょうか。

実はそのチームリーダーになる前に、米本社に赴任して2年間エンジニアとしてお客様を回った経験がありました。普段は米国人と一緒ですが、たまに1人でお客様にプレセンテーションする機会がありました。いくら英語が下手でも、この男の話は一理ある、正しいなと思ったら、お客様もちゃんと意見を聞いてくれます。外国人の上司も偏見を交えず、積極的に聞く「オープンドア文化」が根付いていました。

――銀行の基幹システム受注に成功し、日本人社員では初めて米IBM会長の補佐にも抜てきされました。これもハードな経験だったのではないですか。

この体験で経営者目線を養いました。世界中から多くの案件が会長室に届きます。それにまず我々アシスタントが課題を分析して解決策について考え、10行程度の小さなメモにまとめて、会長の判断を仰ぐ仕組みでした。OKの場合は会長がサインして終わりですが、NOの場合、何も理由を告げられず、差し戻しになります。もっと広い視野が欠けていたなどが後で分かりますが、最初はなぜダメなのか理解できず、悩みました。

東京・箱崎の日本IBM

東京・箱崎の日本IBM

トップはいつもニコニコ、「ATM」で

――1993年に日本IBMが初めて赤字決算に陥った年に48歳で社長に就任しますが、これは究極の修羅場体験ではないですか。

コンピューターのダウンサイジングが進み、業績不振に陥っていましたが、当時の社長の椎名(武雄)から「むしろチャンスだろ、後は回復するだけだよ」とバトンを渡されました。意を決して10ほどの事業から撤退するなど一気に構造改革を進め、何とか業績はV字回復しました。

――当時の日本IBMの幹部人材は多士済々、個性的な猛者が少なくなかった。北城さんは数々の修羅場を経験してキャリアアップしていますが、パワハラ社長が当たり前の時代に温和で紳士的なトップとして知られていました。

いつもニコニコしているけど、人事だけは厳しいと言われましたね。どの幹部にどんな役割をやってもらうのか、そこは非常に重要なので、しっかり評価しながら、人選しました。しかし、通常の業務では常に冷静に対処するように努めました。1年に3回しか怒らないとか。まあ、もう少し怒ったかもしれないけど、トップは感情的に部下を叱責しない方がいいと考えていました。

これは不都合な情報がスムーズに上がってこなくなり、重要な判断が遅れるリスクがあるためです。最近の日本企業は不祥事が相次いでいますが、それも怖いトップへの報告を怠ったのが一因かもしれません。私の信条は「ATM」、明るく、楽しく、前向きに。リーダーがポジティブに仕事をする会社の方が風通しのいい社風になり、イノベーションも進み、ビジネスの生産性も向上すると思います。

(聞き手は代慶達也)

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