コンプライアンス開示で「選ばれる会社」に
コンサルタントのつぶやき企業は法令遵守に加えて、社会的倫理やモラルを意識して行動することが求められます。多様性の確保、両立支援、労働時間管理の厳正化、各種ハラスメント対策などは重要な経営課題であり、企業の存続に影響する問題に発展するケースもあります。人的資本の開示基準でもコンプライアンスは重視されており、内閣官房が公表している人的資本可視化指針では、コンプライアンス・労働慣行を「開示が望ましい分野」の一つとしています。
また、ISO30414(人的資本に関する情報開示ガイドライン)では、「コンプライアンスや人権等の研修を受けた従業員割合」は企業規模を問わず開示すべきだとしています。さらに、大企業には「提起された苦情の件数と種類」、「懲戒処分の件数と種類」の2項目も開示を推奨しています。
研修テーマや受講率などが中心
人的資本レポートなど各種開示資料で日本企業の人的資本戦略を見ると、「コンプライアンスや人権等の研修を受けた従業員割合」を開示している企業は散見されます。内容は、実施した研修テーマや受講率、参加人数などの数値データが中心です。研修テーマは一般的なコンプライアンス研修から、業界のビジネス特有のもの、新たな価値観の浸透を狙ったものなどさまざまですが、企業がコンプライアンスを重視していることを垣間見ることができます。
一方、ISO30414で開示を推奨している「提起された苦情の件数と種類」、特に「懲戒処分の件数と種類」を公表している企業は少数です。社内で処分内容を公表することは、再発防止や社内秩序の維持のために一定の必要性がありますが、社外への公表は慎重に行うことが求められる側面もあります。インターネットやSNSで企業の社会的評価を低下させるような情報が広がったりする状況などを考慮すると、どこまで開示すべきか判断に悩む企業が多いのも当然です。
ネガティブ情報を開示する例も
ネガティブにも思われるこれらの情報を、すでに外部に向けて開示している企業もあります。その一例を紹介します。
「人的資本データブック2023」で提起された苦情の種類と件数、懲戒処分の種類と件数など3年間の推移を開示しています。中期経営計画では「多様な人財の力を引き出す人財マネジメント戦略」を掲げ、持続的な企業価値向上のために人的資本を重視し、意欲と能力に基づいて人財を登用できる新たな人財マネジメント制度の導入もスタートさせています。
内部通報の件数、コンプライアンス違反件数・内容を開示しています。コンプライアンス違反の早期発見・未然防止のため、コンプライアンス違反やその恐れを知った場合に、社内の委員会や社外の弁護士に通報できる内部通報制度を導入しており、その的確な運用を宣言しています。
各種研修・職場単位での勉強会の実施状況、内部通報の内容と件数、重大な法令・通達違反件数、法務内部監査の実施、前年度監査指摘事項の改善率など、広範囲に情報を開示しています。
Human Capital Report2023で、提起された苦情の種類と件数、懲戒処分の種類と件数の経年変化を開示しています。同社ではコンプライアンス相談窓口のほか、多言語 (160言語以上)対応窓口を外部専門機関に設置するなど、通報や相談がしやすい内部通報体制を整備しています。
Human Capital Report2023では、提起された苦情の種類と件数、懲戒処分の種類と件数について、3年間の推移を開示しています。中計では「すべての人(Kenkijin)が自分らしく働けるフィールドへ」を掲げ、トリプル・ゼロとして①労働災害・罹病率ゼロ②ネガティブな退職ゼロ③コンプライアンス事案ゼロ――の3つを目指すことを発信しています。
提起された苦情の件数と種類、懲戒処分の種類と件数を開示しています。同社の「Human_Capital_Data」では、このような情報を外部に開示・発信することが、コンプライアンス強化や従業員エンゲージメントにもつながっていると考え、「法令違反や不誠実が一切存在しない「一点の曇りもない経営」を目指しています」と強調しています。
ここで紹介したのは「開示先進企業」とも言える事例ですが、データだけでなく、目指すべき未来に向けた独自の対策なども見ることができます。
透明性の高さが信頼の前提に
ISO30414の人的資本の開示項目の中には、「離職率」「欠勤率」「労災件数」など、あまり表に出したくない、開示するとレピュテーション(評判)を低下させる恐れがある項目が他にもあります。しかし、それにこだわり過ぎて開示する情報を限定すると、ステークホルダーにどう受け止めるでしょうか。
今回触れた「提起された苦情」は、一定の件数が報告されていれば、内部通報が適切に機能している、または不正リスクを企業が管理できていると言えます。また、「懲戒対象者」も理由などを合わせて開示されていれば、社内不祥事に該当するような事案に厳しく対応している、または事実関係や原因などを把握・分析し、再発防止に向けて手を打っているという見方もできます。
企業の現状(As-is)とあるべき姿(To-be)にはギャップがあるものです。社会から信頼を得るためには、ステークホルダーが知りたい、他社と比較したい情報をできるだけ公表し、透明性を高めることが前提となるのではないでしょうか。そして、ステークホルダーからのフィードバックや対話を経て、組織としての戦略を見直し、改革を進めるというポジティブなサイクルを回すことができるか。国内外の投資家や従業員から「選ばれる会社」になるためのカギは、そこにあるのかもしれません。
(梅田育男)