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働きがいと働きやすさを高める人的資本経営

横山貴士のHCM CAMP #1

「企業は誰のものか」。古くて新しいこの問いを抜きに人的資本経営は語れない。本質的な論点と具体的な事例を交えて解説する『「人的資本経営」が一からわかる本』の著者、横山貴士さんはHRビジネスに20年近く携わってきた。第一線で活躍するコンサルタントによる人的資本経営の実践を学ぶ「HCM CAMP」シリーズ。

HR分野で繰り返されるブーム

人的資本経営に関する2冊目の本の内容は白紙ですが、タイトルは「人的資本経営はなぜ進まないのか」でほぼ決まりでしょう。人的資本経営の推進をサポートする立場にありながら、「無責任だ」「何かの冗談か」とお叱りを受けそうですが、HRビジネスに20年近くかかわってきた経験で培った勘のようなものです。

HRの領域にはこれまでも遅々として進まないものや一時的なブームで終わってしまったものが少なくありません。例えば、女性活躍推進。2003年に政府は「社会のあらゆる分野において、20年までに指導的地位に女性が占める割合が、少なくとも30%程度になるよう期待する」という目標を立てていました(平成15年6月20日男女共同参画推進本部決定)。

実際には、第5次男女共同参画基本計画における成果目標の動向調査によると、民間企業の役職者に占める部長級の割合は8.5%(20年)、課長級の割合は11.5%(20年)にとどまりました。いまの目標は2025年時点で部長級で12%、課長級で18%と下方修正されていますが、ハードルは高そうです。

また一時的なブームで終わってしまったものには、成果主義(もちろん一部の企業ではしっかりと導入されているようですが、原則として年功序列がベースになっている場合が多いようです)やティール組織などが挙げられます。最近流行りのジョブ型雇用も普及と定着にはやや懐疑的に見ています。

人的資本経営はブームで済まされない

一方、人的資本経営の推進が単なるブームで終わらない理由は明白です。政府は上場企業約4,000社に対し、23年3月期以降に公開の有価証券報告書に人的資本の情報を開示するよう義務付けました。つまり、人的資本が経営にどのような影響を与えているのかを開示する仕組みが設けられたのです。

これまでのブームは導入するかどうかは個別企業の判断でした。もちろん開示の義務もありませんから、導入した結果、経営にどのような影響を与えたのか知る術はありませんでした。しかし、人的資本の情報開示は義務であり、経営と人事がどのように連動しているのかを示すことが投資家や金融機関との有効なコミュニケーション手段になったのです。

もっともブームで終わらないとはいえ、女性活躍推進と同様「総論賛成各論進まず」の状況が続くでしょう。人的資本経営は人や組織に全般的にかかわり、時間と投資が求められます。企業にはこの中長期的な覚悟が求められているのです。

人的資本経営とは「働きやすさと働きがいの向上」

人的資本経営という言葉が頻繁にメディアに登場するようになったのは、22年夏頃からです(図表1)。

政府が有価証券報告書提出企業に対し、人的資本の情報開示を公式に求めたことがきっかけでしょう。HRビジネスに携わった20年近くの経験に照らすと、22年以前は人的資本経営という言葉を現場で交わしたことは今ほど多くなかったように記憶しています。採用、教育、アセスメント、次世代リーダー育成、女性活躍推進などがそれぞれ個別に議論されていて、それらはおおむね「人事施策」としての課題でした。つまり、「経営」レベルにはとらえられていなかったのです。

それが、人的資本経営という名のもと、経営レベルに「格上げ」され、一気に経営課題として認識されるようになりました。そもそも人的資本情報の開示が求められるようになったのは、財務情報に比べ非財務情報の開示が少ないことに不満をもった機関投資家たちの意向です。これまで経営レベルで議論されてこなかったことが改善されたとみてよいでしょう。

では改めて人的資本経営とは何を指すのでしょうか。経済産業省によると、"人的資本経営とは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方" と定義しています。大枠としては何となく同意できるといったところでしょうか。

実務を担当されている方向けに、もう少し具体的に、何をどうすることなのかを解説するならば、筆者はこのように回答します。「人的資本経営とは、働きがいや働きやすさを向上させる経営」のことです。その結果として、エンゲージメントが高まり、生産性が向上し、企業価値が向上するのです。

自社だけのビジネスストーリーを生み出す

経営の神様・松下幸之助翁は「経営学は教えられるが経営は教えられない」という名言を残しています。人的資本経営もマニュアルがあるわけではなく、自社にあった独自の仕組みをつくることが求められているのです。自社の世界観や価値観を改めて見直し、「なぜ、人的資本経営を進めるのか」といった根本的な問いから整理し、経営戦略に照らし合わせ、働きがいや働きやすさを向上させる人事施策にブレークダウンしていくという段取りが必要です。そして、この取り組みにより誰を幸せにしたいのか、といったところまで考え続けることで、自社独自のビジネスストーリーが生まれます。

この連載では、人的資本経営を取り巻く重要キーワードについて、各社の有価証券報告書や統合報告書、ホームページなどの公開情報を使用しながらわかりやすく解説していきます。有価証券報告書は各社ホームページや金融庁が運営するEDINET(金融商品取引法に基づく有価証券報告書等の開示書類に関する電子開示システム)を利用すれば、誰でも無料で閲覧することができます。

横山貴士
【プロフィール】
パートナーコンサルタント
三井住友銀行グループのコンサルティング会社で約10年、人材育成施策の企画などを担当。2016年事業構想大学院大学で「組織×構想」について学び、独立起業。大手出版社の研修ビジネス立ち上げ支援、ビジネスコーチ(現東証グロース上場)顧問などを歴任。18年よりパートナーコンサルタントとして日本経済新聞社に参画、20年近いHRビジネスの経験を活かし、人的資本経営の推進や開示に関する実務をサポートしている。
中小企業診断士/ISO30414 リードコンサルタント/アセッサー/2030 SDGs公認ファシリテーター
映画・絵画・音楽鑑賞と読書が趣味。旅先では必ずクラフトビールを楽しむ。
  • 著者 : 横山 貴士
  • 出版 : セルバ出版
  • 価格 : 1,980円(税込み)

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